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ニジェール軍事クーデター (2010年) : ウィキペディア日本語版 | ニジェール軍事クーデター (2010年)[2010ねんのにじぇーるぐんじくーでたー] 2010年のニジェール軍事クーデター(2010ねんのニジェールぐんじクーデター)とは、2010年2月18日(現地時間)にニジェール共和国の首都ニアメで発生した軍事クーデター。 独裁的傾向を強めていたとされるタンジャ・ママドゥ(ママドゥ・タンジャ)大統領に反対する国軍兵士たちが、アブドゥライェ・アダム・アルナ大佐(少佐との説もあり)の指揮の下〔ニジェール軍事クーデターを伝えるロイター通信の記事 (アメリカ東部時間2010年2月19日午前8時50分配信・2010年2月20日閲覧)〕、首都ニアメの大統領宮殿を襲撃・制圧し、ママドゥ大統領と閣僚を拘束した。この一連の動きにより、ママドゥ大統領は失脚し、ママドゥ政権に代わって新しく軍事政権が立てられた〔 ニジェールでクーデター、「民主主義の回復を」 AFPBBの記事(2010年2月19日配信・閲覧)〕。2011年4月7日に大統領選挙による新政権が発足し、民政移管が果たされた。 == クーデターの背景 ==
=== ママドゥ大統領の政治的経歴 ===
今回失脚したタンジャ・ママドゥ大統領は、クーデターが頻発し短期間で失脚する政治家が多いニジェールの中でも、最も長期間にわたって政権を維持してきた政治家である。ママドゥ自身も元々は軍の幹部であり、1974年のセイニ・クンチェ中佐(当時の陸軍参謀総長)を中心とするグループによる軍事クーデターに参加したことが、政界入りのきっかけである。ママドゥはその後、クンチェが主導する軍事政権「最高軍事評議会」の評議員を務めるなどで高位の官職を歴任し、1987年11月にクンチェが死亡した後も1989年の民政移管まで同評議会の評議員に留まった。1991年に退役した後は、軍事政権時代からの与党であるニジェール社会発展国民運動(MNSD,中道右派)の党首に就任した。しかしその後、1993年、1996年と2回にわたり大統領選に出馬するも落選、3度目の挑戦となった1999年の軍事クーデター後に実施された大統領選挙で当選を果たし、2010年に至るまで政権を維持していた。
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